夫婦で海を挟んでの別居を解消するまでの長い話(その2)

この記事では、妻子がアメリカ在住で私が日本在住という状況に陥った私の経験について書いています。妻が子連れで海外赴任してきて、アメリカで保育園を探し、しばらく同居した後に、アメリカ国内で別居することになりました。

前回の記事では、私が妻子を置いて1年間のアメリカでの研修に行っている最中に、妻が「アメリカに4年間出向」という辞令を受け、アメリカに赴任してきた事を書きました。

ここからは、妻がアメリカに拠点を移してから、生活立ち上げをするまで、特に当時3歳だった子どもを保育園に預け、アメリカ国内で別居するエピソードを中心にお届けします。

スポンサーリンク

妻子のアメリカ生活が始まった

ついに、妻が子どもと一緒にアメリカにやってきました。私はお休みをとって、妻の生活立ち上げに1週間付き添う事になりました。

実は妻子でアメリカに来るのはこれが初めてではありません。赴任の1ヶ月前に、妻は夏季休暇をつかって、子連れでアメリカに旅行に来ていました。赴任が決まる前からチケットを取っていたので、間が悪くなってしまったけれど、赴任前に保育園やアパートの下見ができたので結果的によかったです。(なお、私のいた都市と妻の赴任地は飛行機で移動する距離だったので、下見するのに家族3人の飛行機代やらで10万円くらいかかりました。全部自腹..)

そんなわかで、子どもと大量の荷物を持って、妻がやってきました。荷物を何とかホテルに運び込んで、唖然としました。ホテルが古くて汚い。そして治安が悪そう!

会社に近くて安いことから、会社は赴任者が滞在するホテルとして、”Extended Stay”というチェーンを指定しているようです。しかし、男性の私からみてもちょっと恐怖を感じるレベルのクオリティです。さっさとアパートを契約しなければ、と思いました。(*1〜*3)

とにかく到着してからやる事は沢山あります。まずは予め下見しておいた保育園に行き、さっそく入園の手続きをします。 赴任当初は会社に行くよりも、生活立ち上げが最優先。でも子連れだと色々と動きづらいので、保育園に預けて動きたいのです。

*1:Extended Stayは夜中にドアを叩く人がいたり、隣の部屋が麻薬取引してる人っぽかったり、同僚に「早く退去しなさい!」と警告されるレベルの危険さ(2013年当時)
*2:入りたいアパートに空きがなく、結局1ヶ月弱ホテル住まいを余儀なくされた。
*3:息子には「汚いホテル」と覚えさせた。

さっそくアメリカの保育園に入園する息子

さて、親が生活立ち上げをするにあたり、小さい子どもが一緒だと、正直無理なので、息子にはアメリカ到着2日目にして保育園に入ってもらいました。

3歳前の息子は、英語は話せないし、アメリカの保育園はこれまで通っていた保育園とルールも違うしで、保育園に置いていかれたときはパニックだったでしょう。父母が去ろうとすると、号泣してしまいました。6ヶ月から保育園に預けていた息子がこういうシチュエーションで泣くのは滅多になかったので、私は早くも心が折れて、「今日は1時間くらいで迎えに来ようよ」と言いかけました。しかし、アメリカ人の先生が息子をなだめようと抱っこをすると、息子は少し泣き止んだのです。

保育園生活が長く、途中で転園もしたので、彼なりにこの状況は泣いてもどうにもならないのを理解していたのでしょう。 まだ3歳になっていない息子の忍耐力に泣きそうになりながらも、夫婦で保育園を後にしました。

結局、生活用品の買い出しや、出社しての各種オリエンテーション等で想像以上に時間がかかり、息子を迎えにいったのは、17時でした。初日から言葉も文化も違う保育園に8時間も預けてしまいました。(慣らし保育という概念はなかった様子です)

迎えに行った息子を見ると、一日中泣いていたわけではないようで、なんとか遊んでいたようです。先生曰く「泣いていなかった」とのこと。息子の目を見ても泣きはらした跡はありませんでした。

息子は英語が喋れないと言いましたが、3歳児前なので、まだまだ言葉でコミュニケーションを取るのが十分にはできていない年齢だったのが幸いしたのかもしれません。

そんなこんなで、まずは一番の高い壁だった、息子をアメリカの保育園に毎日預ける、というタスクをクリアすることができました。

妻と息子とのアメリカ生活の立ち上げ

息子は朝から夕方まで保育園に通う間、妻は車を買って、アパートを契約し、生活必要品の買い出しをし、電気やインターネットの契約をし、着々と生活を立ち上げました。私も1週間は一緒に過ごせたので、主にペーパードライバーかつ方向音痴な妻のドライバー役として、また4ヶ月前の自身の生活立ち上げ経験にもとづくアドバイスで、生活立ち上げに貢献しました。

5ヶ月ぶりの別居解消、まさかのアメリカ共働き

私の単身赴任によって4月から始まった別居生活は、夏休み中に中断をはさみ、9月に終わりを告げました。なんと、アメリカで私が研修していた会社に、妻の会社に常駐する仕事があるというのです。

仲のいい同僚とともに常駐を始めることになりました。(とはいっても、私は「研修生」なのでほとんど働かず、勉強するだけでした)

同僚たちはホテル暮らしで、週末だけ家に帰る暮らしだけど、私は妻子と同じアパートで暮らし始めました。これはとっても嬉しかった。

朝は家族3人で同じ車に乗って、息子を保育園で下ろし、妻と同じビルに出勤し、お昼を妻と一緒に食べたり、長い連休には家族ドライブ旅行をしたり、とっても楽しい日々でした。新生活に戸惑う息子にとっても、長らくいなかった父親が一緒にいることで、ずいぶん安心できたようです。

しかし、「妻の勤務先に常駐」なんて都合の良い生活は4ヶ月で終わりを告げました。2014年の1月から、私はもともと暮らしていたアメリカの別の街に戻ることになりました。

アメリカ国内での別居は思ったよりも大変でなかった

アメリカは広いです。私が暮らしていた街と妻子が住む街は、飛行機で90分、車だと13時間くらい離れています。飛行機は安くて片道150ドルほど。そんなわけで、1月から3月にかけて、毎月1回は妻子の元に行くようにしていました。

2月に至っては、妻が1週間海外出張に出るというので、私が1週間妻の家に行って、息子と一緒に暮らしておりました。1日は保育園を休ませて、近くの遊び場に行ったりしました。

別居中は、時差もないので、夕方や週末はSkypeやiPhoneのFaceTime機能で数時間テレビ電話をしていました。

でも、私の在米は3月までなので、日本に帰るときが来てしまいました。

こちらの記事に続きます