夫婦で海を挟んでの別居を解消するまでの長い話(その4)

この記事では、我が家がかつて経験した、妻の海外勤務にともなう別居について書いています。夫である私が「配偶者海外赴任同伴休暇」を取らずとも、妻と同じ国に海外派遣される、という可能性が出てきました。

前回の記事では、妻子のために私が「配偶者海外勤務同伴休暇」を取得しようとしたところ、海外勤務ができる可能性を伝えられたことについて書きました。

今回の記事では、帰国してから海外勤務ができないかを社内で検討すべく、海外事業を手がけるお偉いさんとの面談をしたり、なぜかバリバリの仕事人間になってしまったり、一時的に再渡米したことなどを書いています。

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副事業部長との面談、私はアメリカで働けるのでしょうか?

部長曰く「私のような人材を海外に送りたがっている」という副事業部長との面談が始まりました。

私の所属部署は、度重なる組織併合で大きくなった部署でした。はじめの頃は100人程度で、日本の会社のITコンサルみたいな事をする、国内事業100%みたいな部署だったのだけど、気づけばグローバル案件も手がける大所帯になっていました。

副事業部長は、海外留学のある方で、とある事業をアメリカで立ち上げたいようで、それに最適な人を探しているとのことでした。私は海外に行きたいことと、1年間アメリカで過ごしてきた自分の経験などを売り込みました。とはいえ、話の大半が地元とか子育ての話でした。(海外で幼少期を過ごした子どもの語学、とくに日本語とか)

そうして20分ほどで面談が終わりました。副事業部長曰く、前向きに検討するが、受け入れる側の都合などもあるので、そこは彼が近々アメリカ出張した際に、現地メンバーから話を聞いてみる、とのことでした。

そして、すぐに副事業部長はアメリカに出張していきました。1週間ほど、やきもきと待って、帰国した彼の部屋を尋ねました。

副事業部長曰く「アメリカのメンバーと会話したけれど、まだタイミングが早いようだな、それに、送り込むとなったらマネージャークラス(課長クラス)を送る方がよさそうだ」ということでした。

私は課長には程遠いヒラ社員でしたので、「お前を送ることは当面ないようだ」ということのようです。ヒラ社員でも、熱意や才能を感じてもらえればゴリ押ししてもらえたのかもしれないけれど、そこまで認めてもらえるほど私は魅力的ではなかったようです。

アメリカ赴任が無くなった、次の手は??

副事業部長から伝えられた結果を上司およびアメリカにいる妻に伝えました。頼みの綱が切れた感じです。

会社を辞めるつもりはなかったので、部長には「アメリカ行きの話が無くなったので、やはり”配偶者海外勤務同伴休暇”を取得させて欲しい」という旨を伝えました。

この配偶者海外勤務同伴休暇、私が勤めていた会社での取得条件は「休暇を希望する日の3ヶ月前に申し出ること」とあったので、同時に「休暇が取得できるその日までは頑張って働く」という事を伝えました。

会社のお金で海外に1年間行っていて、職場の皆さんに負担をかけていたこともあり、休暇をとるまで、少しでも部署に貢献しておきたいという想いでした。結果、部長は「総務ともう一度休暇(休職)について話し合う」という事を約束してくれて、人手が足りなくて困っているチームの助けとして私を投入してくれました。

チームを率いているのは、私の数歳年上の先輩で、超会社人間な方でした。

比較的同僚との距離がフランクなのはいいのだけど、「お前、どうすんの?やめるの?」というスタンスで接してくるので、ちょっと苦手なところがありました。

それでも、私の仕事ぶりを買ってくださっていて、「手伝ってくれて助かるよ」と伝えてくれました。家族と離れて辛かったけれど、1年振りの日本での仕事が褒められ、懐かしさとあいまって、不覚にも嬉しく感じてしまいました。

久しぶりの日本での仕事は充実していて、結構残業していた

私の職場は、比較的残業の多い職場で、21時頃に帰宅する人が多く、23時頃まで働く人もいました。私もその仲間だったのだけど、息子が生まれてからは、極力20時前には退社するようにしていました。(2018年に残業のない世界に住みながらこの記事を書き直しているのだけど、2014年はそれが普通だと思ってました。)

アメリカで1年間過ごしたことにより、日本型の長時間労働(効率とプライベートを軽視しがち)に懐疑的になっていたのだけれど、日本に戻ってきて、皆さんと仕事をしているうちに、あっという間にそんな事を忘れて、もとの長時間労働スタイルに戻ってしまいました。おまけに実家暮らしで食事の心配をしなくてすむというのも大きく、2ヶ月ほとんど終電近くまで働くという生活に陥ってしまいました。

仕事は毎回学ぶことが多く、過去の経験を生かして工夫をしたりしてチームメンバーに感謝されたりと、やりがいをかなり感じていました。「休暇を上限いっぱい(3年間)取りたい」と上司に伝えた返事がなかなか貰えないことと、子どもに会えないストレスを仕事に向けていたのかもしれません。

「居場所がないから残業しているんだ」という仕事人間をそれまでは軽蔑していたんですが、自分がまさにそれになっていました。毎日定時に帰るような日々が続いていたら、時間を持て余して、子どもと会えない寂しさで困っていたことでしょう。

アメリカは以外と気軽に行かれる?

休職を申請しているといっても、4月から働いていると、当然のようにゴールデンウィークがやってきます。休職が認められても、休めるのは3ヶ月先。というわけで、私はゴールデンウィークを長めにとって、アメリカに住む妻子に会いに行くことにしました。

お金はかかるけれど、家族はお金では買えません。貯金を大幅に切り崩すのでもない限り、お金は惜しまないことにしました。

Expediaや中小など、いろいろな旅行サイトを見比べた結果、HISの格安旅行券が一番安いことが分かったので、HISでチケットを押さえ、10日弱ほどアメリカに行くことにしました。自宅というか妻の家に泊まれるのでホテル代はかかりません。航空券だけだと14万円くらいでした。少しでも家族と一緒にいる時間を長くしたかったので、ゴールデンウィーク明けの出社日の前日に帰国するタイトスケジュールにしました。

そして、絵本やらDVDやら日本食材やらを大量に買い込んで、息子に会ってきました。1ヶ月ぶりに会う息子は嬉しそうでした。しばらく一緒に過ごして、あっというまに再び帰国です。息子は妻に「パパいっちゃったね…」と寂しそうにこぼしていたそうです。

ここは嬉しくも寂しいエピソードなので、詳細は割愛します。

まだまだ続きます。