夫婦で海を挟んでの別居を解消するまでの長い話(その7)

この記事では、我が家がかつて経験した、妻の海外勤務にともなう別居について書いています。会社の計らいで海外部門に異動することになったのですが、なかなか異動しませんでした。

前回の記事では、本題から一歩外れて、アメリカと日本で別居中の家族のコミュニケーションの様子をご紹介しました。その前の記事では、休職が却下され、異動を申し渡されたことを書きました。

海外部門に異動して、アメリカにいく仕事に従事できる!と思っていたのですが・・・

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本当に私は異動するんですか??

上司に異動をほのめかされたのは、5月の終わりころでした。異動するとしたら月初からなので、7月1日付けになるようです。

4月にやっていた業務は一区切りついたので、5月から他部署の多忙な案件に従事していていました。多忙さゆえ「どうか抜けないでくれ!」とチームから懇願されていたのだけど、「異動するっぽいんで」と、ものすごく中途半端理由ながら6月末に、その案件を抜けることになりました。(ちなみに大変なブラック案件で、毎日終電帰りでした)

しかし、6月も終わりに近づいたものの、一向に異動の連絡がきません。会社のルールでは、6月20日頃には開示されるはずなのですが…。

結局、6月30日になっても異動の話はなく、忙しい案件を抜けたのに、「異動することになっている」という身分で、自部署に戻ってきてしまいました。抜けたチームは相変わらず忙しそうなのに、自分には仕事が無い状態です。前日まで一緒に忙しく働いていたメンバーを尻目に、定時で帰る日々になってしまいました。悶々とします。

忙しくなさすぎたので、7月の連休にはアメリカに行って家族に会ってきました。帰国した際にお土産を配ったら「君が自費で行っているんだから、別にお土産配らなくていいんだよ」と一緒に仕事をしていた管理職の方がアドバイスをくれたのが印象に残っています。

上司になるはずの部長に挨拶、そして飲み会へ

私の移動は無かったものの、部長が話してくれた通り、7月1日付で、新しい部署ができました。聞いていた通り、私の師匠と言える存在の方が、昇進してその部署を率いることになりました。ひとまずご挨拶に行きました。

私が異動するという噂は聞いているものの、人事内で確定できていないのか、異動時期はご存知ないようでした。ひとまず、以前から一緒に仕事をしていたメンバーで飲み会をすることになりました。

異動するのかしないのかで悶々としていたこともあり、酔いに任せて総務や上司のことについて相当悪態をついてしまい、同席していた先輩から後日こっぴどくお叱りを受けました。

それから数日後、総務の手続きが長引いただけだったのか、そもそも7月に異動という話は前の部長だけが考えていた話だったのか、確かではありませんが、8月1日付で、出来たばかりの海外部門に異動することになりました。ようやく、といった感じで一安心です。(ちなみに、夏休みがあるので8月1日付けで異動するというのは結構なレアケースだったようです)

一安心したところで、早速会社は夏休みに入ります。、1週間強の長い休みを取得して、アメリカの家族に会いに行きました。7月の連休にも会いに行ったので、1ヶ月と間隔を開けずに行くことになりました。

なんだか分からんが忙しい!そして海外に行かれないぞ!

夏休みを結局家族でアメリカで過ごし、日本に単身戻ってきてから再び本格的な仕事開始です。異動先は出来たばかりの部署で、人数も少ないこともあり、すごく忙しかったです。

仕事内容としては、自分たちの部署がどうしてアメリカに進出すべきなのか、という事業企画書を作る日々でした。要件がフワっとしていることもあって、偉い人に見せるたびに大幅な書き直しを命じられ、いつまでたっても終わりません。

さらには偉い方々の出張サポートとして、会議資料を作ったり、日本人が作った日本語の技術資料を英訳したり(本当に読む人いるの?)、という雑務に次ぐ雑務が発生して今した。グローバル部署とは名ばかりで英語をしゃべる機会は少なかったけれど、資料の英訳をしまくっていました。英訳をするスキルが少し上がりました。8月の残業時間は、夏休みをとっていたにも関わらず、過去半年で最多、100時間に迫っていました。大変だったけれど、アメリカ行きを実現させるためだったので、頑張れました。

ようやく上司と面談して、お互いの想いを確認する

私が異動したグローバル部署の役割は、アメリカの会社と協力して新しいビジネスを立ち上げることでした。上司の考えは「誰か一人送り込まないと話にならない、でも俺は職務上行かれない」というものでした。

忙しい日々が続いて、なかなか上司と面談する機会もなかったのだけど、9月の終わり頃に、ようやく休職や海外転勤の希望について話し合う機会が設けられました。

なかなか交渉ごとが苦手なので、いきなり「休職を考えていて、ダメだったら退職も検討している」と伝えました。上司は当然ながらビックリしていました。とはいえ、現在の仕事の状況などを自分なりに考え、海外赴任できる機会があれば、絶対に自分が行きたいことも伝えました。

上司は、数年前に私と働いていた時の印象を振り返りつつ、そこからの私の成長を認めてくれて、「昔のままのお前だったら送り込むか悩んだけど、今ならばお前が適任だと思っている」という趣旨のことを伝えてくれました。

赴任の可能性のある土地は、妻子が住む場所から飛行機で4時間くらい離れていることも伝え、仮に赴任できてもそこからまだ遠いことも理解してくれました。「頑張って、妻子のいる場所で仕事を作り出せればベストだけど、行けるかどうかまだ決まってない段階なので、難しいよなー」という事を言っていました。

アメリカは在宅勤務などが発達しつつあるけれど、日本人を送り込んでいきなり在宅勤務するのはハードルが高すぎるな、と自分でも思ったけれど、そこは赴任先での頑張り次第かな、とポジティブに考えました。

そんなこんなで2時間近く話し込み、「会社としてベストな選択という範囲で、家族と暮らしたいという私の要望を叶えるべく頑張っていこう」という結論に至りました。(ようは現状のまま頑張りましょうということです。)

そうはいっても、1年後に実現するのでは遅過ぎるので、翌年2-3月までに海外赴任が決まらなければ、休職(退職)というタイムリミットも伝えました。

ここまでポジティブな方向で働いてきましたが、次回の記事は、モチベーションの低下についてお伝えします。

もう数話続きます