夫婦で海を挟んでの別居を解消するまでの長い話(その8)

この記事では、我が家がかつて経験した、妻の海外勤務にともなう別居について書いています。グローバル部門に異動して、アメリカに行くべく頑張って働いていた…のだけど、妻の一声で考え方を変えました。

妻の海外赴任に合流すべく、海外部門で働き始めたことを前回の記事に書きました。休職というネガティブな手段でなく、海外赴任というポジティブな方法で家族と一緒に暮らす道を上司と探ることにしていました。

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半年で5回の渡米。妻が精神的に辛くなる

8月は夏休みを利用してアメリカの家族に会いに行きました。その後も、9月の連休と10月末の連休にも、有給休暇を絡めてアメリカへ行きました。これで4月から半年で5回のアメリカ訪問です。HISの安い航空券を使っているのだけど、毎回15万円くらいかかります。幸い実家暮らしなので、旅費払っても残るお金の方が多かったですが、すごい出費です。

時間とお金をかけてでも、なるべく息子と会う頻度を多くすることで、「パパはちゃんといるんだよ」と伝えているつもりだったのだけど、妻が悲鳴をあげ始めました。毎回来て数日だけ楽しく過ごして、そして去って寂しくなるのはもう嫌だ、とのことです。

こっちも出来ることをやってきたつもりだったけれど、確かに一切成果は出せていない。いつ家族合流できるかも確約できていない。申し訳ない気持ちで一杯になりました。

アメリカ赴任する、というモチベーションを失う

折しも、一緒に仕事をしているアメリカ側のメンバーが来日して顔を付き合わせて話し合う機会がありました。アメリカ側は「やっぱり日本人がアメリカに来てくれるとやりやすいな」という態度でした。

これは手を挙げる絶好のチャンス!…だったのですが、手を挙げるのを躊躇してしまいました。

アメリカに行ったら明らかに激務が待っています。日本との時差を超えた電話会議、日本人の出張対応の諸々な調整業務、日本側の無理難題をアメリカ人に理解してもらって実行してもらう、、、などなど。特に、日本側のトップのやりたいことが定まっておらず、それに振り回されるであろうことが、1-2ヶ月の経験でわかってきました。

さらに勤務地も妻子が暮らす土地から飛行機で4時間以上離れている。こんなので家族に会いに行く時間が本当にとれるのだろうか、と思いました。

また、これまで何度か「アメリカに行かれるかも」→「やっぱりダメだった」という流れをなんども経験してくるなかで、あと2-3回同じことを繰り返したら、妻だけでなくて私も精神的に参ってしまうな、という予感がしました。それはさすがに辛い。

妻はこれまでずっと「退職は絶対やめた方が良い、仕事を続けるのが理想。できるならば休職などの制度を使うべきだ」と主張していました。私も同感でした。

そんなわけで、当初考えていた「仕事で成果を出してアメリカに赴任し、アメリカ国内で単身赴任する」というプランを中止し、「3年間の休職」という手段を行使することにしました。

わずか2ヶ月での心変わりに上司は驚く

アメリカで仕事がある。だからアメリカに行かれるかもしれない、でも確度は不明確、時期も未定…そんな不安定な条件でのアメリカ行きを諦めることにしました。再び上司と個別に面談することになりました。焦点は、「やっぱり休職を行使したい。不可能だったら退職する」ということです。(とはいっても、退職はしたくなかった)

前回「(私が)アメリカに行かれるようお互い頑張ろう」と面談してからわずか2ヶ月だったので、上司は拍子抜けしていました。「お前、けっこう意見がコロコロ変わるところがあるから、その時の勢いで決断していないか?」とも心配されました。

確かにそういう面はあるのだけど、こちらも4月から半年以上に渡って悩み続けてきた事なので、十分悩んだ上での決断であることも伝えました。

当時の上司はバリバリと成果を出しつつ、部下の個々人が自分の人生を追い求めることに対しては寛容な方だったので、「仕方ないな…」という形で納得してくれました。そして、その上司および総務部門などの関係者と話し合うことを約束してくれました。

同時に、「今後もしアメリカ側との話が急展開して、誰か行かせるという状況になっても、もう君は選べないからね」という事も伝えられました。

どんなに仕事を頑張っても、仕事でアメリカに行く事は無くなった、いわゆるモチベーションが下降曲線に入った瞬間でした。

言えない事は本当にもどかしい

そんなわけで、面談後すぐに上司に休職申請書を提出しました。休職申請には上司やら総務部門やら複数の部署の承認が必要なので、すぐに受け入れられるわけではありません。しばらくの間、私は「休職申請中の身」となりました。

とはいっても、それを知っているのは上司(とその上司?)のみ。

口が固い上司は自部署のメンバー含む一緒に仕事をしているメンバーの誰にも私の現状を漏らしませんでした。ありがたい反面、「誰かアメリカに行かせたいね」という話題が出るたびに私は「そうっすね」と愛想笑いすることになりました。

モチベーションは下がりつつも、主体的に仕事をする気持ちは失っていなかったのだけど、自分で「誰かをアメリカに送ることでこんなメリットが」という企画を作ったりして、なんだか複雑な気分になりました。

しばらくして、上司が総務部門との面談を設定してくれました。前の上司の場合、総務部門と直接会話することがなかったので、大きな進展です。

総務部門との面談は残念な結果になったのだけど、それは次回お届けします。

あと3話、もう少しで終わります